「寺田屋騒動」
柱に刀キズが現在でも残っている舞台とさせている旅館、寺田屋。
「寺田屋騒動 」が
騒動をお越してる京都ニュースなのであった。そうどぅすえ~。どないしゃはったんどす?今更・・判明するんかぁ
そりゃ難しそうどす。
そんなこんなでメインはこちら↓↓↓
「幕末グラフィティRonin」
画像のシーンは
「おんな! 見たこたぁ~ 全て忘れろ!」だったかな。 カッコイイ
武田鉄也さんもいい味だされてるね。
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コメント
あれ? これはとっくの昔に決着がついていたと思っていましたが、まだやっているの? 寺田屋騒動時の寺田屋は戊辰戦争で焼失、明治になって隣地に建て替えたのが現在の寺田屋でしょう? まあ堅いことを言わなくてもいいじゃない。役所としたら「疑惑」を突きつけられたら「調べる」とでもいわなきゃいかんのでしょうね。
熱海には「お宮の松」と「お宮・貫一の銅像」があって観光名所になっている。あれは尾崎紅葉の小説「金色夜叉」に悪乗りしたもので、フィクションだから(そもそもお宮なんていないのだから)昔から由緒のある「松」があったわけではない。どこか適当な松の木を選んできて、これが「お宮の松だ。みんな信じろ」と急に言われてもなあ…。でも、あと100年経ったら立派な歴史的遺産になる! わっはっは。
歴史にはうるさいよー。寺田屋騒動には2つあって一般的なのはおりょうの機転で竜馬が助かった寺田屋事件。もうひとつは薩摩の島津久光が1,000名の軍勢を率いて上洛、その力を背景に朝廷工作を行い幕府にもの申そうとしたが、路線を勘違いした?薩摩の尊王攘夷急進派・有馬新七らがハネ上がって京都所司代等を襲撃しようとした。藩邸に戻れと説得するも血気盛んな過激派は聞く耳持たず。やむなく同じ薩摩藩士らによって粛清された。こっちの事件は悲惨きわまる。えっ、歴史はもういいって…、しゃべりたくなるんよね。こんな話はいつまでも。
>「寺田屋騒動 」が 騒動を起こしている京都ニュースなのであった。そうどぅすえ
くっ、くるしい~。
投稿: うみ | 2008年9月 6日 (土) 17時47分
そうそう うみさんのおっしゃるとおり、焼失したはずですよね?店主が 幕末からのものと 言い張る気持ちはわかりますがね~。たしか調査がはいるんでしたよね
はてさて?
投稿: やま | 2008年9月 6日 (土) 22時48分
うみさん、こんにちは。
ほほぉ~お話ありがとうございます。さすがでございますね。
歴史話にも弱い私ですので、中盤あたりからお話が分からなくなってきましたですよ(笑)難しい!
「寺田屋騒動」もそういうことか!なるほどね。100年経ったら立派な歴史的遺産、納得。
それと竜馬が助かった寺田屋事件、寺田屋騒動があったとは・・。一方の寺田屋騒動しか知らなかったなぁ。
うみさん随分お勉強になりました。
本当はこの話まだまだ続くんだろうな(笑)
投稿: あらやん | 2008年9月 7日 (日) 19時21分
やまさん、こんにちは。
お元気ですかぁ~~やまさん。
そうですよ、調査の結果はどうでしょう、どうでしょうって言うより、うみさんがおっしゃってたように役所の義務なんでしょうね、今更調査するって。
どのように調査するんでしょう。
はてさて?
投稿: あらやん | 2008年9月 7日 (日) 19時30分